日常

僕の幸せの定義 in 令和元年

他の海外大学院進学者や、本当に能力が高く優秀だなと感じる人と話していると身をもって気づくことがある。

それは、僕は本当に運が良く奨学金も頂けることになり、それに満足していたけど、それに値するのかもわからない。そして、実はもっと努力して理想の状態に近づけた。

今となって、やっと気づいた。

僕が唯一やり残したと感じることは、「後悔」

 

もっと上に行けたし、もっと能力もつけられた。もっと早く後悔すべきだったと後悔している。

何事もポジティブに受け止め、特にこの1~2年はいつも幸せに生きていたけど、もっと自分を追い込んで高いレベルを目指すことができた。確かに、あの瞬間やあの時間は紛れもなく幸せを感じていた時間で、後悔するだろうなんて思ってもいなかった。でも、今は後悔している。

 

一つ発見したことがある。それは、

あの時、幸せを感じていたのは過去に努力したと言える自分がいたからだ。

 

この努力した過去は、時間と共に色褪せる。今の心の持ち方を続けていっても、人生全体での幸せを考えたときに最大化されていない。

単に瞬間的に幸せを感じることが僕の幸せではない。

僕の幸せを再定義する必要がある。

 

僕の幸せの定義 in 令和元年

心から幸せな感情が生まれ、向上心を感じていること。一時的に生じる「辛い」という感情を正面から受け止められる状態であり、自分自身を突き動かすような、自分自身への厳しさと共に日々の充実感を感じていること。そして、その先に見える自分にワクワクしていること。

人生生きるであろう時間軸で、幸せを積分したときに最大値となりそうだと思う。この定義に沿った心の持ち方をしていれば、これからずっと幸せだろうと思う。

これまで、思いの外、思った以上にうまく進んだ物事の中で、目の前の幸せで満足していた。幸せな感情だけに集中し、「辛い」という感情から逃げていた。この感情が生まれないように、常にポジティブな感情だけで心が埋め尽くされるようにコントロールしていたように思う。

 

そして、僕に爆発的な成長を与えてくれていたのは、「悔しい」という感情。

最近、自分らしさがある程度確立されて、人と比較しなくった分、自己肯定感がかなり高くなったが、その代わり「悔しい」という感情を感じづらくなった

 

自分は唯一無二の存在で、人同士は物差しで測れるものではない。その人らしくあれば、それでいい。そんな考え方は変わらないのだけど、僕はただ現実から逃げていた。特に努力しなくてもどうにかなりそうな状況に甘え、貪欲に上を目指すことを忘れ、100%以上の力を発揮できないでいた。

 

「最高のライバルは自分の中にいる」。この感覚を忘れていた。

 

本当に追い求めるものにもっと貪欲になって、本気でつかみ取りに行くこともできた。自分というライバルの存在をもっと意識することもできた。

 

僕の理想としている人物像は、幸せだと口ずさみながら生ぬるい世界で生きている人ではない

 

自分自身に厳しく、長期的な目標に向かって一日一日を全力で、自分の夢を本当に実現してしまう人。人に指図されたり、否定的なことを言われても、自分の心と可能性を信じて、突き進むことができる人。

僕はそんな人になりたい。

 

これから、PhDが始まって、ニューヨークでは自分よりめちゃくちゃすごい人たちと出会うと思う。周りについて行けずに、もうやめたいと思うかもしれない。

そんな時でも、「悔しい」「負けたくない」という感情を素直に受け止めて、最高の成長を手に入れたい。

今から一週間後、フィリピンでバックパックをしている時間で、もっと深く自分に向き合いたい。

自分に向き合う時間がないほど、忙しい毎日を継続的に送っていては、大事なことも見逃してしまう。

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